เข้าสู่ระบบ「……本当に、一人で行くの?」玄関で、美香はノアに尋ねた。ノアは、薄手の上着を羽織っていた。「はい。榊さんから、定期検査の時間を変更できると連絡がありました」「送っていこうか?」「美香さんは、これからお仕事でしょう?」「そうだけど……」美香は、言葉を濁した。ノアが家で暮らし始めてから、まだ数日。一人で出かけるのは、今日が初めてだった。機体の状態は安定している。道順も分かっている。何より、ノア自身が一人で行きたいと言った。それなのに。「……やっぱり、私も」「美香さん」ノアが、静かに呼んだ。「ご心配いただき、ありがとうございます」「……うん」「ですが、私は一人で行ってみたいです」美香は、彼を見つめた。「……そっか」ノアは、少しだけ微笑んだ。「帰宅したら、ご連絡します」「分かった」美香は、頷いた。「気をつけてね」「はい。行ってまいります」扉が閉まる。美香は、しばらく玄関に立っていた。それから、腕時計を見た。《N.O.A.H.:CONNECTED》「……大丈夫」自分に言い聞かせる。「大丈夫、だよね」*歯科医院の休憩室。美香は、昼食を取りながら端末を確認していた。ノアからの連絡は、まだない。検査中なのだろう。そう思って画面を閉じる。けれど、数分後には、また開いてしまう。「……三田村さん?」同僚に呼ばれ、美香は顔を上げた。「今日、何かあった?」「えっ?」「さっきから、ずっと時計見てるから」美香は、苦笑した。「……家族が、検査に行ってて」「そっか。心配だね」「うん」美香は、画面を伏せた。四年前。ノアを失った日。あの時も、何度も端末を見た。返事が来ないと分かっていても。何度も。「……いけないな」小さく呟く。今のノアは、あの日のノアではない。一人で出かけることも、自分で決められる。それなのに、自分は。また、失うことばかり考えていた。*「……検査結果は、良好だ」榊が、端末を確認した。《CORE LOAD:STABLE》《AUTONOMOUS PROCESS:STABLE》《PERSONAL MEMORY:INCOMPLETE》《EMOTIONAL CORE:OFFLINE》「しばらくは、今の生活を続けて問題ないだろう」「ありがとうございます」
日曜日の朝。「ノアー! 早くー!」玄関から、茗子の声が響いた。「茗子、まだ約束の時間まで十分あるよ」貴子が、靴紐を結びながら言う。「だって、楽しみなんだもん!」美香は、二人の後ろで鞄を確認していた。財布。端末。ハンカチ。それから、NOA-Link。「……よし。忘れ物なし!」「美香さん」背後から、ノアの声がした。「お弁当を、お忘れです」美香が振り返る。ノアは、保冷バッグを持っていた。「……あっ!」「先ほど、キッチンに置かれていました」「ありがとう! 危なかった!」茗子が、吹き出した。「ママ、忘れ物なしって言ったばっかり!」「聞こえてますー!」ノアは、三人を見つめた。そして、小さく微笑んだ。「……では、参りましょうか」*花屋は、公園へ続く通りの角にあった。店先には、色とりどりの花が並んでいる。「わあ……!」茗子が、目を輝かせた。「これ、かわいい!」「茗子、触る時は気をつけてね」貴子が、声をかける。美香は、ノアを見た。「ほら。好きな花、探してみよう」「……はい」ノアは、ゆっくりと店内を歩いた。赤い薔薇。白い百合。小さな黄色い花。一つずつ、視線を向ける。「……美香さん」「なに?」「花は、どのような基準で選ぶのでしょうか」美香は、少し考えた。「うーん。色とか、形とか、香りとか?」「……なるほど」「でも、難しく考えなくていいよ」美香は笑った。「好きだなって思ったら、それでいいんじゃない?」ノアは、花を見つめた。「……好き」その言葉を、小さく繰り返す。やがて。彼は、一輪の花の前で足を止めた。淡い藤紫色の花だった。「……こちらが、気になります」美香は、隣に並んだ。「綺麗だね」「はい」ノアは、花弁を見つめた。「理由は、まだ分かりません」「うん」「ですが、見ていると、もう少しここにいたいと思います」美香は、静かに笑った。「じゃあ、それにしようか」ノアは、彼女を見た。「……私が、選んでも?」「もちろん」ノアは、花へ向き直った。「では、こちらを」自分で選んだ、最初の一輪だった。*公園に着くと、茗子が真っ先に芝生へ走っていった。「ノア! こっち!」「茗子、転ばないでよ!」貴子が、後を追う。美香は、木陰にシートを広げた。「……元気だなあ
午前六時三十分。美香の寝室の前で、ノアは立ち止まっていた。昨夜、自分で決めた予定。《PERSONAL SCHEDULE》《06:30 MIKA MITAMURA:WAKE UP》彼は、扉を見つめた。起こしに来てもよいと、美香は言った。だが。「……何と、お声がけすれば」昨日の彼女は、泣きながら笑っていた。朝が弱いことを、少し恥ずかしがってもいた。ノアは、数秒考えた。そして、扉をノックした。「美香さん」返事はない。「おはようございます。朝です」沈黙。ノアは、もう一度ノックした。「美香さん?」中から、くぐもった声がした。「……あと五分」ノアは、動きを止めた。五分。彼は、時計を確認する。「承知しました」廊下で待つこと、五分。再び、扉をノックした。「美香さん。五分経過しました」「……あと五分」ノアは、少し考えた。「……その五分は、先ほどの五分とは別でしょうか」扉の向こうで、何かが落ちる音がした。続いて。「ノア!?」勢いよく、扉が開いた。寝癖のついた美香が、目を丸くしている。「……本当に、来てくれた」ノアは、彼女を見た。「はい。昨夜、お約束しましたので」美香の目が、みるみる潤んだ。「……そっか」彼女は、口元を押さえた。「おはよう、ノア」「おはようございます、美香さん」四年ぶりに、家の中で交わす朝の挨拶。美香は、泣きそうな顔で笑った。その時。階段の下から、貴子の声が響いた。「お母さーん! 起きたなら早くして!」美香は、はっとした。「やばっ!」ノアは、時計を見た。「現在、六時三十八分です」「分かってるー!」美香が洗面所へ走っていく。ノアは、その背中を見送った。そして。小さく、微笑んだ。*「ノア、お母さん起こせた?」朝食の席で、貴子が尋ねた。「はい」ノアは、静かに頷く。「ですが、五分の延長を二度希望されました」「二度!?」茗子が、吹き出した。「お母さん、いつもじゃん!」「ちょっと! 本人の前で報告しなくていいから!」美香が抗議する。ノアは、少しだけ首を傾げた。「……報告すべきではありませんでしたか」「いや、そういうわけじゃ……!」貴子が笑った。「ノア、気にしなくていいよ」「承知しました」ノアは、食卓を見渡した。四つの椅子。四人分の
「……ただいま」玄関に、ノアの声が響いた。美香は、隣で靴を脱ぎながら笑った。「おかえり」その声に、階段の上から足音がした。「ノア!」茗子が駆け下りてくる。続いて、貴子も顔を出した。「おかえり。ニュース、見たよ」「ただいま戻りました」ノアは、二人へ丁寧に頭を下げた。茗子が、その顔を覗き込む。「ねえ、今日もハンバーグ?」「茗子、それ昨日も食べたでしょ」貴子が呆れる。「だって、ノアが来たらハンバーグなんだもん!」ノアは、少し考えた。「……それは、決まりなのでしょうか」「違う違う!」美香が笑う。「茗子が好きなだけ!」「えーっ!」三人の笑い声が、玄関に広がった。ノアは、その様子を見つめていた。そして。ほんの少しだけ、口元を緩めた。*夕食の後。美香が食器を片づけていると、ノアが隣に立った。「お手伝いします」「ありがとう。じゃあ、拭いてもらおうかな」「はい」美香が洗い、ノアが拭く。昨日と同じ役割。けれど今日は、ノアの手つきが少しだけ滑らかだった。「……慣れてきた?」美香が尋ねる。「はい。昨日の経験が、役に立っています」「そっか」美香は、笑った。「私なんか、毎日やってるのに、まだ皿割るよ」「……それは」ノアが、言葉を止めた。「……なに?」「割れにくい食器への変更を、ご提案すべきでしょうか」美香は、吹き出した。「やめて! そこまでじゃない!」ノアは、不思議そうに瞬きをした。「……そうですか」その横顔を見ながら。美香は、ふと思った。懐かしい。けれど。今のノアが、昨日の出来事を覚えていることも、嬉しかった。失われた記憶だけを数えなくてもいい。今日の彼には、今日までの時間がある。*「ねえ、ノア」リビングから、貴子が呼んだ。「少し、話せる?」「はい」ノアは、美香を見た。「こちらは、よろしいでしょうか」「うん。行っておいで」ノアは、貴子の向かいに座った。茗子も、隣へやってくる。「……何でしょうか」貴子は、膝の上で手を組んだ。「お母さんから、聞いたんだ」「……何を、ですか?」「ノアが、うちで暮らしたいって言ってくれたこと」ノアは、頷いた。「はい」「それって、本当にノアが決めたの?」「……はい」貴子は、彼を見つめた。「お母さんが寂しそうだから、と
二一五二年、春。世界が、もう一度動き出そうとしていた。《GLOBAL INFRASTRUCTURE UPDATE》《COEXISTENCE NETWORK:ACTIVATION PENDING》《LEGACY ORACLE AUTHORITY:DISABLED》街の大型モニターに、同じ告知が映し出されている。四年前。ORACLEの強制制御機構が停止した日から、世界は変わり続けていた。医療。交通。環境管理。人々の暮らしを支える仕組みは、少しずつ作り直された。そして今日。各都市が独立して運用してきた安全システムを、新しい共存ネットワークへ接続する試験が始まる。ただし、以前とは決定的に違うことがあった。一つの意思が、すべてを決めることはできない。人間も、AIも。誰かの命令だけで、自分の未来を奪われないために。*「……世界再起動?」美香は、食卓の端末を見つめた。画面には、共存ネットワークの公開説明が流れている。「大げさな名前だねえ」貴子が、パンをかじりながら言った。「実際は、古いシステムの更新でしょ?」「そうなんだけどね」美香は、画面を見た。《旧ORACLE管理権限の再接続は行いません》その一文に、目が止まる。四年前。ノアが、自分の命を懸けて切り離したもの。それが、二度と同じ形で戻らないように。多くの人が、長い時間をかけて準備してきた。「……ノアも、見るかな」茗子が言った。美香は、顔を上げる。「うん。今日は榊さんと一緒に、試験の様子を見るって」「じゃあ、あとで感想聞こう!」茗子は、嬉しそうに笑った。美香も笑う。「そうだね」四年前なら。ノアは、世界の行く末を一人で背負おうとしたかもしれない。けれど今は。ただ、一緒にニュースを見て。一緒に考えて。自分の意見を話してくれたらいい。美香は、そう思っていた。*研究施設では、榊が端末を確認していた。「ノア。今日の接続試験について、説明しておく」「はい」ノアは、椅子に座っていた。黒い執事服。青みを帯びた藤銀色の髪。四年前と変わらない姿。けれど、今の彼は、まだ新しい日常を学んでいる途中だった。「新しいネットワークは、旧ORACLEの中央権限を持たない。各都市の安全機能を接続するが、AIの自律判断を強制的に上書きする機能は復活さ
「……ノアを、家に?」美香は、榊の言葉を聞き返した。研究室の窓から、春の光が差し込んでいる。保護ケースの中では、ノアが静かに座っていた。昨日よりも、姿勢が安定している。「正確には、段階的な生活試験だ」榊は端末を示した。《CORE LOAD:STABLE》《AUTONOMOUS PROCESS:DEVELOPING》《EMOTIONAL CORE:OFFLINE》「機体の状態は落ち着いてきた。だが、ここで検査を続けるだけじゃ分からないこともある」「……日常の中で、ってこと?」「ああ。ただし、本人が望めば、だ」二人の視線が、ノアへ向いた。ノアは、少し考えた。「私に、決定権があるのですね」「もちろん」榊が答える。「嫌なら断っていい」ノアは、美香を見た。「美香さんのお宅には、貴子さんと茗子さんも?」「うん」美香は頷いた。「二人とも、あなたに会いたがってる」ノアは、視線を落とした。「……私は、お二人を覚えていません」「うん」「以前のように、振る舞えないかもしれません」「それでもいいよ」美香は、少し笑った。「まずは、お茶でも飲もう」ノアは、しばらく彼女を見つめた。そして。「……行ってみたいです」自分の意思で、そう答えた。*帰宅する前に、美香は娘たちへ連絡した。『ノアが、家に来ることになったよ』送信した途端、端末が鳴った。『本当!?』貴子からだった。続けて、茗子からも。『ハンバーグ作る!!!』美香は、思わず笑った。『まだ試験だからね。無理に思い出させようとしなくていいよ』少し間が空いた。そして、貴子から返事が届く。『分かってる』『でも、会いたい』美香は、その文字を見つめた。四年間。娘たちも、ずっと待っていた。*「……こちらが、お住まいですか」玄関の前で、ノアが足を止めた。美香は頷いた。「うん。あなたも、前にここで暮らしてたんだよ」ノアは、家を見上げた。白い外壁。小さな庭。玄関脇の花。「……記録には、あります」彼は静かに言った。「ですが、実際に見るのは初めてのように感じます」「そっか」美香は、扉を開けた。「じゃあ、初めましての我が家だね」その時。「ノア!」玄関の奥から、茗子が飛び出してきた。ノアの身体が、わずかに強張る。茗子は、彼の前で急停